今のあなたにピッタリの映画を見つけるブログ

映画を通して得た「人生観」を綴っていきます。このブログが今のあなたが欲しい人生観を得る事が出来る映画と出会あうキッカケとなれば最高です。

メタルヘッドのヘッシャーを観たら人生変わる

 

メタルヘッドのヘッシャーを観たら人生変わる

観終わった後に「人生変わったわ!」って思えるような映画に出会った事ありますか?僕は何回かあるんですけど、今回紹介する映画「メタルヘッド(原題:Hesher)」もそんな映画の内の一つです。本気で関わっていくと、お互いがこんなにも本質に近づいて行けるのかと、そう思わせられた映画でしたので、それについて詳しく説明していきたいと思います。

 

目次

 

メタルヘッドの映画情報

まずは、この映画のあらすじや役者陣からみていきましょう。変な奴がいきなり人生に入ってきて、人生がめっちゃ変わるって映画は他にもあったと思いますが、この映画はそれらと比べても何か特殊な感じがしました。役者も有名なお二人が出ています。

あらすじ

パパ、ママ、小学生の3人家族が、ママが亡くなってしまい、残された2人がどん底状態で生活しているなか、ふとしたきっかけでヘヴィーメタルオタク(メタルヘッド)のヘッシャーという見ず知らずの男が勝手に家に住みついて、、、、、という内容です。あ、おばあちゃんも居ます。おばあちゃんは特にどん底という感じではなく、単に自分がしてあげられる事が限られていて心苦しい様子です。小学生は学校でいじめられていて、唯一の生き甲斐が、密かに好意を寄せているかなり年上でスーパーでバイトしているニコールという女性の存在です。

役者達

ヘッシャー: ジョゼフ・ゴードン・レヴィット

パパ: レイン・ウィルソン

小学生(TJ): デヴィン・ブロシュー

ニコール: ナタリー・ポートマン

 

メタルヘッドの感想

ここからは、ネタバレを含めた個人的な感想を書いていきたいと思います。すでに見終えた方は是非自分で思った事と照らし合わせてみてください。ちなみに僕はこの映画を一度観てとても良かったと感じたので、おかわりをして2度目も観ました。そして、1度目に観た時のヘッシャーに対するイメージと2度目に観終えた際のイメージが全く違っていたのでびっくりしました。ネタバレしたくない方はご注意ください。

1度目に観たときの感想

一度目に観たときは、ヘッシャーは天から送り込まれた救世主だと思いました。どうゆう事かと言うと、どん底までに落ち込んだ家族を見かねて、どん底から引き上げて、くよくよしてんじゃねーよと気合を入れて、目標があって豊かさを感じることの出来る人生に戻してあげる為に家に来たと、そうゆう目的で来たのだと思いました。悪魔の顔した天使だと思いました。見てくれは上裸で「なんでこんなの入れたの!?」って思ってしまう様な意味不明なタトゥーを胸のあたりに入れて、髪の毛もスティーブ・アオキで、服も一つしかなくて、乱暴な感じです。それでも、中身は芯があって、「人生なんてクソみたいな事ばっかりだけど、それでも楽しみを見つけて1日1日を生きていくんだよ」と、くよくよした家族に、本気でぶつかって関わり合いながら身をもって伝えていきます。悪魔の顔した天使だとちょうど「ジョー・ブラックをよろしく」の逆パターンみたいですね。

2度目に観たときの感想

一度目程、救世主感を感じませんでした。ヘッシャーが落ち込んだ家族を救いに来たというよりは、ヘッシャーも家族との関わりの中で救われたのではないかという見え方に変わりました。ヘッシャーも決して完璧ではなく、絆が芽生え始めた小学生を傷つけてしまい、嫌われてしまいます。パパと小学生もぶつかり合って、パパと小学生とヘッシャーの3人の関係はめちゃくちゃでバラバラになります。しかし、おばあちゃんの死を通して、3人はある意味同じ視点に立ちました。全く違う3人が共通のモノを失って、同じ場所から同じ方向を観ているその様は、ソファで3人で横並びで座っているシーンで象徴されています。絆とは常にそこにある物だけど、離れたり近づいたり、途切れたり繋がったり、ふと消えてしまう様に見えたりと、不思議な感覚に陥りました。結論、「ヘッシャーの様な一般的にはクソみたいに見られる人間でも、本気で関われば人を変える事ができる。」これが僕がこの映画から受け取ったメッセージです。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。「メタルヘッド」は僕は落ち込んでいる人や悩みを抱えている人が居たら間違いなくオススメしたい映画です。「こんな小さい事で悩んでいたのか」と気付かせてくれたり、「人生って意外となんとかなるもんだな」と前向きに出来事を捉える事が出来るようになったりして、人生を見つめ直すきっかけを与えてくれる映画だと思います。また、優秀な映画を見つけたら紹介していこうと思います^^最後まで読んで下さりありがとうございました!

 

メタルヘッド (字幕版)

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有限の美徳について

みなさんこんにちわ^^

 

無限の命と有限の命、どちらの方がいいですか?

 

結論、「今」しか関係ないので、無限でも有限でも一緒。

 

目次

 

<有限の美徳について>

有限について語るには、無限と比べる必要がある。

なぜなら有限と無限は対を成しているからだ。

有限とはいいかえると「限りが有る」という事。

無限とはいいかえると「限りが無い」という事。

 

例えば命について。

命とは有限のものである。

無限の命など存在しない。

 

仮に無限の命があったとしたら、つまり永遠に生きる事ができたら、どうゆうことになるか。

いくら無限と言っても一瞬一瞬は有限である。

同じ瞬間は訪れないし、同じ瞬間が無限に続くことはない。

つまり無限の命であっても、中身は有限の無数の塊であると言える。

違う人生を何回も何回も生きることに似ていると思う。

つまり、無限の命であっても、細分化するとそれは有限の命と何ら変わりない。

 

むしろ、「死ね」という事ができないので、

逆に、無限の命は有限の命よりも出来る事が限られているようにも見て取れる。

 

<終わりがあるからこそ中身が充実する>

無限に続くマラソンを誰が見るだろうか。

終わりを目指す、終わりがあるから充実する。

 

30年の命と50年の命、どちらがいいか?

考えてみてください。

僕はどっちでも一緒だと思う。

30で死んだからといって、幸せでないとは決して言えない。

50まで生きれたからと言って、幸せだとは断言できない。

つまり、有限の命だろうが無限の命だろうが、人生の長さは幸せとは関係ない。

人生を幸せを体感する行為だとすると、長さは関係ない。

むしろ長い方が幸せを感じ続けるのは難しいだろう。

 

1日を充実した生き方をするのと、

10年を毎日充実した生き方をするのと、

100年を毎日充実した生き方をするのと、

どれが一番簡単だろうか?

 

今日が最後の一日だとしたら、どう過ごすだろうか?

後5年しか生きれないとしたらどう過ごすだろうか?

後10年しか生きれなかったとしたら?

後50年しか生きられないとしたら?

 

どれだけの余命があろうとも、

今、生きる事ができるのは「今」だけである。

5年後の今日、何をしたいか、また何をしているかなんて分かりえない。

今をどう生きたいのか?また、その先に何を見据えるのか?

それが重要であり、それは有限の方が意識しやすい。

 

目標を持たず、意志を持たず、目的を持たずに過ぎていく時間は、

ただ時間を浪費しているに過ぎない。

 

人生で一番幸せを感じた瞬間が過去にあると思っている人がいたとしたら、

その先、それ以上の幸せを感じることができなければ、それ以上生きていく

意味があるのだろうか?

 

この先に幸せを作らなければ、昨日より今日の方が幸せだと感じ続けなければ、

それ以上生きていく意味はあるのだろうか。

 

なので、人生の一番大事な部分は、

何を手に入れるたかではなく、どう生きるかである。

何を意識して、どう生きるか。

どうゆう自分でどうゆう生き方をして何を目指して今を生きるか。

そこに収束すると僕は思う。

 

人間とは、期限ぎりぎりまで時間を使おうとする習性がある。

本気をだせば1日で終わることでも、

期限が5日あれば、5日まるまる使ってしまう。

そんな経験みなあるのではないだろうか?

 

それだけ期限設定は大事であると言える。

 

<目標設定>

目標を決める事の意味について詳しく書いています↓

blog.50worlds.com

何事も期限を決めて、期限内でベストを尽くす。

それが、目標を設定すると、中身が充実するからくり。

 

目標の作り方はある程度決まっている。

SMARTの法則に沿って行うのがいい。

 

簡単に説明すると、

SMARTの法則は目標設定がきちんとできているかどうかを判断する5つの基準で成り立っている。

Specific 具体的であるかどうか?運動ができるようになるよりも、足が速くなるという方が具体的。

Measurable 目標達成したのかハッキリわかるかどうか?足が速くなるだと、判断しづらい。「100メートルを12秒台で走れるようになる」だと、ハッキリ達成したかどうかがわかる。

Achievable 達成可能かどうか?100メートルを8秒台で走れるようになるという目標は達成不可能なのでAchievableではない。達成できるかできないか、頑張れば出来る内容であり、達成できた時の自分が想像できる内容でないといけない。

Relevant 自分に合っている目標かどうか?運動が好きで運動関連の目標を立てるのに、将棋で全国一位になるみたいな目標だと、自分に合っていない目標になってしまう。この目標、自分の生き方に関係あるか、自分に合っている目標かどうかも重要。

Timebound 今回の記事で説明してきたとおり、期限が設定されているかどうか。3か月後までに100メートルを12秒台で走れるようになるなど、期限を決めないと、いつまでもずっとやっている感じになる。間延びしてしまう。また、目標の細分化もできない。3か月以内だと、では2か月後にはどうなっていないといけないか?1か月後は?1週間後は?という風に細分化できるが、期限がないと細分化できない。

 

細分化について詳しく書いています↓

blog.50worlds.com

 

<命を掛けるとはどういうことか?>

これはめちゃくちゃ面白い内容。

このご時世、命を掛けて何かをやっている意識ある人ほぼいないと思います。

普通に生きていれば、今日死ぬかもしれない、死んでもこれを成し遂げたいと

思うことなんてほとんどないのではないでしょうか?

自分の命に代えてもやりたいことありますか??

 

パッと聞かれても、分からない人がほとんどだと思います。

僕もそうです。今日死ぬなんてあまり現実的ではないし、

考えなくてもいいことだとさえ思っています。

 

ここで、戦国時代の武将達の身になって考えてみましょう。

彼らは、戦(いくさ)を生業としています。

戦は死ぬこともあります。

もし、まだ死にたくないと思っていれば、戦になんていかないですよね?

死ぬリスク高いし。

死にたくないのに、戦に連れ出されたら、

死なないように立ちまわって、

死を感じたら怖すぎて、恐怖に震え上がって、逃げ回って、戦いどころではないと思います。

 

そんな中、当時の武将達は死に対してどのように考えて戦に臨んでいたのでしょうか?

僕なりの考えをお伝えすると、武将達は命を掛けないと戦には勝てない物だという価値観を持っていて、命を掛けていい物だと感じていたのだと思います。

勝つ為になんでもする、その中で死んでしまったら、仕方ない。それまでだということ。

今の時代でいう、「失敗」みたいなもんです。

失敗に恐れていたら何もできないってよく聞くように、

死を恐れていたら何もできないみたいな、死を今よりも身近な物と考えていたと思います。

 

後は、自分の家を繁栄させる為です。

戦で名を馳せて家を大きくしていきます。

家を存続させるために戦うのです。

家を背負う。自分一人の命よりも大きな物を背負っているという自負があったのではないでしょうか。

 

あとは、今でいう、株で勝負するとか、新しい事業で勝負するとか、

そんなものなかったので、そんな感覚で、戦で勝負するみたいな。

そんな感じだったのではないかと想像します。

 

<死生観>

僕は別に今死んでもいいと思っている。

今死にたいということではない。

今好きな様に自由に生きているし、

将来の為に生きているわけではない。

目標はあるが、目標を目指して「今」を生きていて、

その「今」こそ大切にしている。

老後の人生が楽しみで、辛いサラリーマン生活をしている人が、

50代で死んでしまったら、なんか無念を感じる、

こんなに将来の為に今を犠牲にしていたのに、

その犠牲が無駄になってしまったみたいな。

僕はそうではなく、老後の為に生きているのではなく、

単に今の為に今を一生懸命生きている。

 

今を本気で生きる。これに尽きると思っている。

 

投資だって、将来の為にやるのではなくて、

今を安心して生きる為に行うものですよね。

それか、今を楽しみな気持ちで満たす為とも言えるかもしれない。

 

人は簡単に死ぬ。死を身近に感じる。

そう思うからこそ、命を大切に生きる事ができると思います。

 

<映画「The Old Guard」を観て>

Netflixオリジナル映画の「The Old Guard」

 

※以下ネタバレ含むかもしれません。

 

これは一見、死ぬことができない無限の命を持ち合わせた人達の話に見えるが、

実際は何千年かを無敵に生きる事ができる人達の話である。

一応終わりはある。殺されても何回でも生き返って傷も癒えるのだが、

あるとき突然傷が癒えなくなる。

この映画を観て、何千年もの長い人生も、50年ほどの人生も、大差ないと感じた。

人生は長さではないと思った。

なぜなら、ずっと無敵だった人が、ある日傷が癒えなくなったとき、

そこで、あ、あと数十年しか生きる事できないなと悟って、

そして、その後の数十年は結局、普通の人と一緒の数十年だから。

さらに、人生は「今」を生きることしかできないので、

普通の人間が感じる「今」と大差ないなってこと。

 

「今」を意識してい生きる。

 

 

The Old Guard #1 (English Edition)

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粘りの心機一転の巻

今週のお題「納豆」

みなさんこんにちわ^^

 

ネバネバした季節ですね

 

ってことで、今回は納豆の可能性について書いていきます。

 

目次

 

<納豆の僕のイメージ>

亀田興毅がテレビで強さの秘訣は?と聞かれ、毎日食べる納豆だと言っていた。

・お父さんが納豆に辛しを入れて食べていて、色が気持ち悪いと小さいころ思っていたけど、大人になって実際に辛しを入れて食べてみたら悪くなかった。

・カツ→勝つ、納豆→粘り強くなる、みたいな縁言葉があるけど、納豆はカツほど人気ない。

・米さえあれば食べれる便利グッズ。

・たまに米なくても納豆だけでいっちゃう時もある。

・そもそも発酵してるのに消費期限があるのが謎。

・意外と美味しいけど、外人があまり好まないのも全然分かる。

 

<粘り強いってなんなんだろう>

負けそうになっても諦めずに食い下がることか?

あっさりしていないということ、潔くないということか。

傍からみると諦めてもいい状況だが、当の本人は諦めていないって時に、

傍から見ているひとはそれを粘り強いと思うのだろう。

自分で粘り強いとは思わないのではないかな。

 

<粘り強いと言われて思い浮かぶ映画>

粘り強い映画って言うと、

なかなか死なないみたいなところから派生して、

思い浮かぶのはやっぱり「スカーフェイス」かな。

あの、ネタバレになっちゃうのかわからないけど、

トニー・モンタナの最期は、マジで粘り強いなって思った。

あんな打たれて、それでも立ってて、銃弾受けてやるよって言って、

まだ立ってるぞって言って、いくら銃で撃たれても、意志は絶対に折れない、

あれを粘り強いと言わず、何を粘り強いというのだろうか。

 

<ここで一句>

モンタナは  ギャング映画の  納豆か

 

スカーフェイス (字幕版)

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ホットショットって何?? ※英語の勉強

みなさんこんにちわ^^

 

梅雨終わったんですかね?50です。

 

映画を観て"hotshot"という言葉を知った

 

結論、ホットショットという言葉は2つの意味がある。

 

目次

 

1つ目

何かに特化して一流の人。例: chess hotshot = チェスがマジで強い人。

日本語で言うと、チェスのカリスマって言葉が近いかもしれない。

後は、もう少し規模が小さくても使われる。

学校のクラスで一番算数が得意な人の事を"math hotshot"と言ったりもする。

日本語で言うと、算数が一番得意な人って感じ。算数マスター。

hotshotは、インフォーマルな言葉であり、「算数の専門家」を表現する時には、

hotshotは使われない。それは"math expert"という言葉,「エキスパート」がフォーマルない言い方をしたい場合には使われる。

 

2つ目

山林火災専門の消防士。日本ではいない。山林火災、自然火災の多いアメリカでは結構いる様。hotshotの語源は、危険を顧みない人→何かにめっちゃ長けている人 というように意味が変化してきたみたいで、その中で、山林火災に長けている人たちのことをhotshotのhot(熱い)と掛けて、しっくりくるといったところで、hotshotの代名詞の様な形で山林火災専門の消防士の事を正式にhotshotと呼ぶ様になったと僕は推測する。

 

語源

そもそものhotshotという言葉は、

hotという言葉が入っているところからも、日本語でも想像しやすい。

例えば、「今○○がアツイ」みたいな感じで使うアツイという概念と、

hotshotのhotは似ている。

shotは「奴」みたいなイメージ。〇〇において今かなりアツイ奴。これが一番

しっくりくる僕なりの説明。

hotshotは単数なので、集団に使う時はhotshotsと複数形になる。

 

映画:オンリー・ザ・ブレイブ /Only the Brave

この言葉を知ったきっかけはズバリ, 映画「Only the Brave」を観てだ。

 実在するHotshot  Crewを題材にした映画で、

危険を顧みず、人々の命や町を守る為に命を捧げたあるHotshots達の話。

 

面白かったし、

途中で出てきた「木」を訪れたいと思わせられた。

 

この人達の存在はすごい。

自分の命以上のものを守りたい、そんなアツイ映画でした。

 

オンリー・ザ・ブレイブ(字幕版)

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「日常」と「マンネリ」の違い ※自論

みなさんこんにちわ^^

 

日常化とマンネリ化の違い

 

今回はこのテーマで話していきます。

※自論です。

 

目次

 

■日常化

「日常生活」、「日常風景」、「日常的」という熟語で良く使われる、

「日常」という言葉・概念。

 

これってどうゆうことかと言うと、

いつもと一緒で安心、毎日同じルーティーン、安心感、安定感、毎日毎日やっているけど苦ではない、って感じの意味合いだと思っています。

 

■マンネリ化

「なんかマンネリ化してきちゃった、、」って状況で良く使われる、

「マンネリ」という言葉・概念。

 

これってどうゆう事かと言うと、

いつもと一緒で飽きた、毎日同じ繰り返し、このまま同じ事が続く事に対しての不安感、安定し過ぎ、毎日毎日やっているけど最近は苦、って感じの意味合いだと思ってます。

 

■日常とマンネリの違い

この二つ、何が違うのかと言うと、

「意味付け・感じ方」の部分だと思うんですよね。

 

内容自体は一緒です。

毎日同じ事やってるって事で一緒です。

違うのは、そのやってる事について、ニュートラルか少しプラスの感情を抱いていると「日常」と表現するのに対し、マイナス気味だと「マンネリ」っていう事だと思います。

言い方を変えると、その事象に対して、さらなる刺激を求めていない物は日常と呼び、さらなる刺激を求めている物はマンネリと呼んでいるという感覚です。

 

■マンネリ解消するには?

マンネリはどうすればいいのか。

 

結論、マンネリは日常にすることはできません、

なぜなら内容が一緒だからです。

 

なので、一度、非日常にもってくしかないんです。

だから、マンネリ化解消する為には、いつもと違う何かを取り入れる事が

重要だと言われています。

 

■映画:ROMA

そんな、日常とマンネリと非日常がとてもうまく描かれているのが、

映画「ROMA」だと思う。

スペイン語かなんかで何言っているかほぼ分からなかったけど、

むしろ言語不要じゃないかってくらい映像で見せてくれる映画。

アカデミー賞も受賞している、Netflixを更に盛り上げてくれた作品の一つです。

 

ちなみに、このはてなブログ、僕はマンネリ化ではなく日常化しています。

 


ROMA Official Trailer TEASER (2018) Alfonso Cuarón, Netflix Movie HD

 

 

 

 

 

 

自信のつけ方

みなさんこんにちわ^^

 

すべての自信がない人に捧ぐ

 

自信って何??

 

目次

 

結論、自信って単なる思い込みだということ。

 

わっ、この人自信あっていいなって思う時って、

決まって、出来るかどうか分からない状況なのに、

その人は出来ると自分で思い込んでいるって状況の時ですよね。

 

まあ、言い方変えるとプラス思考ってことですよね。

出来るかもしれないし、出来ないかもしれないけど、

出来るって事にしようと、出来ると信じる事を選ぶ、それが自信の正体。

 

単に出来る自分を信じるという思い込み。

根拠は捏造してもいいし、なくてもいい。

結果がないと自信がないというのは勘違い。

結果は根拠にはなりうるけど、根拠はどんなものからでも生み出せる。

 

例えば、根拠はどんなものからでも生み出せるという例を挙げると、

昨日の夜納豆食べたから、今日、プレゼン絶対上手くいくわ!絶対大丈夫だわ!

って思ってみるみたいな。

 

今日、朝通勤途中で、野良猫がこっちの方見てたな、これ、絶対上手く行くな。

って思う。

 

もちろん、この前のプレゼン上手く行ったから、今回も上手くいくだろう!

でもぜんぜんいい。

けど、ここでいいたいのは、前回プレゼンが上手く行ってなかったとしても、

自信は無から生み出せるということ。

 

逆に、実際は、前回のプレゼンが上手く行ったからって、

今回のプレゼンも上手くいくとは限らないですよね?

それも、自信であり、単なる思い込みだということです。

 

 

自信が全くない人なんていないという話。

 

自信がゼロの人なんていないですよね。

だって、例えば、一口水を飲む事ができるかどうか、について、

どんな人でも水を一口飲む自信ありますよね?

 

自信がゼロだったら、もう無になると思います。

空気吸う自信なかったら、実際空気吸えないし、死んじゃいます。

誰でも空気吸ってる自信ありますよね?

 

 

全てに対して自信があるという人もいないという話

 

自信に満ち溢れまくっていて、すべてに対していつでも自信がある人

ってのも実際いないですよね。

自分の信念に対してや、自分のビジョンに対して自信を持つ、

いわゆるそれらを信じる事によって、

軸のある自信につながると思う。

いつでも自信があるようには見えるが、全てに対して自信があるというのは

ありえない。

 

映画:トップガン

 

自信と言えば、やっぱりトップガンのマベリックが思い浮かぶ。

自信に満ち溢れまくっていて、

自信失って、

また自信を取り戻すみたいな、

そんな自信がサブテーマになっている様な映画だった。

 

トップガン (字幕版)

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なぜユーチューブをやるのか?

みなさんこんにちわ^^

 

ユーチューブ始めました

 

今回はなぜユーチューブをやるのか?について書いていきます。

 

理由はたくさんあるんですけれども、

その中でも主な理由3つをお話していきます。

 

まず1つ目、

発信力、訴求力をあげる為です。

どうゆう事かというと、今の時代はSNSやインターネットで個人がいくらでも好きな様に情報を発信する事が出来る時代。今まではテレビとかのCMを見て商品を買ったりしていたが、今や個人のアカウントで物を販売できて、個々間のネットワークが簡単に作れる様になった。ユーチューブで物を売らないにしろ、個→個への情報発信力をユーチューブをやることによって強めていけると思うので、やってます。というのが一つ目の理由です。

 

2つ目の理由は、

多くの人に知ってもらって、共感できる仲間を集める為です。

自分のビジョンや自分がやりたい事や自分の人柄を発信すれば、自ずと同じ様な考えを持つ人や、ビジョンに共感してくれる人が寄ってくる性質があるというところで、自分自身を発信して、仲間を集めていきたいと思っていますというのが2つ目の理由です。

 

3つ目の理由は、

人の為に立って、人に貢献する為です。

どうゆうことかと言うと、自分が発信する情報で、人が笑顔になったり、人が為になったと思ってくれたりで、人に貢献できるとやっぱり嬉しいですよね。そういった意味で、貢献して他の人の為になるということは、それ以上に自分の為にもなる事だと思っています。

そんな感じで、自分のブランディングやキャラクターも特に固まってるわけではないんですが、とりあえずユーチューブやっていこうと思っています。

 

まとめ、、

ソーシャルネットワークサービス、通称SNS、すごいですよね。

これからの時代、昔で言うと、手紙を書く能力や、習字みたいに字をキレイに書く能力、にとって代わって、SNSの発信力やブランディング力などを習得したら一つの武器になると感じます。

 

ありがとう、ザッカーバーグ

 

ソーシャル・ネットワーク (字幕版)

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行動とは現実を動かす行為

みなさんこんにちわ^^

 

梅雨終わったんですかね?50です。

 

どこに向かって進んでいっていますか?

 

前向きさと現実を兼ね備える。

 

 

想像してみてください、、、

 

あなたは部屋の入口に立っている。

 

奥に向かってゆっくり歩いていくと、そこには大きな箱がある。

 

あなたは箱の中を覗き込む。

 

そこにはなんと、死んだあなたが目を閉じて横たわっている。

 

そう、これはあなたのお葬式。

 

 

棺桶の周りにはどんな人達がいるだろうか?

 

また、その人達はあなたの事をどう思っているだろうか?

 

あなたはどんな人生を歩んでその箱に辿り着いたのだろうか?

 

棺桶の中で横たわっているあなたは、今のあなたの事を見てどう思うだろうか?

 

 

一つだけ言えるのは、そこにはいずれ誰しもが辿り着くということ。

 

終わりを思い描くことから始める。

今この瞬間のあなたを本気で生きる。

 

今、この瞬間の自分と、終わりの自分を見比べてみる。

間には何が広がっているだろうか?

 

想像してみる。

そして思い立ったら即行動。

行動とは現実を動かすという行い

自分を動かすことで実は現実を動かしている。

現実は変えてしまってもいい。

誰しもが現実を変えていっていいという自由を持ち合わせている。

 

現実を終わりや目標に近づけていく。

 

現実が変わっていくのを楽しむ。

季節が移り変わり楽しむ様に。

 

また、同じところに戻ってきてしまうかもしれない。

でもそれは同じに見えるだけで、全く同じではない。

螺旋階段の一つ上の段にいるイメージ。

 

blog.50worlds.com

 

何回も何回も同じ場所に戻っても、

それでもすこしづつ上に向かって登っている。

 

一見、全く進んでいないと思う事でも、実は前に進んでいっているという事で、

映画「ボーン・アイデンティティ」を思い出した。

 

 主人公のジェイソン・ボーンは、記憶を失い、記憶を辿って自分が何者なのだったのかを探りにいく。

こんなのどう見ても、過去を探しに行くだけだから、何も進んでいないように見えるけど、ジェイソンはめちゃめちゃ変わっていく。

 

ふと過去の自分を振り返ってしまったり、

あの頃の自分は輝いていたなと思えたり、

過去の栄光にすがってしまっている時ある。

 

でも、だから、今の方が劣っているということではない。

その経験を積んだ今の自分がいる。

 

体が思う様に動かなくなってしまったからと言って、

単純に人生が詰まらなくなってしまう訳なんてない。

 

何度も何度も原点に立ち返り、

その都度、原点の見え方は変わってくる。

 

生まれる前は死んでいた。

また、生まれる前に戻るだけ。

 

来てから戻るまでに何を変えていくか。

あなたの行動でのみそれを変えることができる。

 

ボーン・アイデンティティー (字幕版)

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アイス掴み取りの夢叶う

今週のお題「私の好きなアイス」

 

みなさんこんにちわ^^

 

アイスにおける夢

 

ほんのちょっと踏み出せば叶えられるけど、

 

なかなかきっかけがなくて踏み出さずにいる夢、

 

みなさんもありませんか?

 

僕にはいつでも叶えられるけど、

 

ちっちゃいいい訳をしまくってやってなかった夢があり、

 

それに気付けたので、

 

きっかけもさしてないけれど、それをやってみた。

 

その夢というのは、

 

「自宅の冷蔵庫にめっちゃたくさんの種類のアイスを蓄えて、食べたくなったらいつでも好きなやつ選んで食べられる様にする」

 

っていう、まあ、下の上くらいの贅沢な状況。

 

何万円もかかることではない。

 

まあ、ほんとちょっとだけ頑張れば出来ることだった。

 

けど、やってみたいことだった。

 

アイスに何千円も掛けたくないとか、

冷凍庫がいっぱいになるとか、

飽きて残すだろうとか、

買って帰るの面倒くさいとか、

次スーパーに来るときでいっかとか、

今日は雨だからやめておこうとか、

今日は暑くて溶けるとまずいからやめておこうとか、

もう夏終わりそうだからやめておこうとか、

 

数えきれないくらいのいい訳を無意識でしてきた自信ある。

 

いい訳はどんなものでもいい訳。

一円でも盗んだら泥棒と一緒。

 

一切のいい訳を受け言えれず、

もうとりあえずこれに気付いた時にやってみた。

 

ほんの少しの贅沢と、ほんの少しの行動で叶えられる夢は必ずあるはず。

 

そんな自分の小さい夢にも目を向けてみよう。

 

と思えたアイスの体験だった。

 

 

この体験で思い出した映画「死ぬまでにしたい10のこと

 

タイトル通り、余命宣告され、

死ぬまでにしたいことを10個リストアップして、

それを一つづつ叶えていくっていう映画。

 

そのリストのほとんどは、

1週間もあれば叶えられるモノばかり。

 

実際にもうすぐ死んでしまうときにやりたいことって、

そんなささいなことなんだと。

今にでも出来ること。

そんな大切なことをないがしろにして生きているのではないか。。。。

 

死ぬまでにしたい10のこと

「アイスをたくさん冷凍庫にストックする」

これ、俺のリストに入っていたんだろうな。

 

それを叶える事が出来て幸せを感じた。

 

死ぬまでにしたい10のこと(字幕版)

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本番はとっくに始まっているという話

みなさんこんにちわ^^

 

梅雨明けたんですかね?50です!

 

今回は、

生まれた瞬間から本番

ということについて話をしていきたいと思います。

 

なんの本番かというと、「人生」の本番です。

 

<目次>

 

結論、

本番が始まっているって気付いていますか?

本番だと実感しながら生きていますか?

 

どうゆうことか?

人生って生まれた瞬間から本番が始まっているんですよね。

本来生き物って、生まれた瞬間から、死なないように本気で逃げ回ったり、

死に物狂いで獲物を追ったりするものですよね。

生まれてから死ぬまで、この人生は「本番」と捉えると分かり易い。

 

けど、今って、命がある人間は、最低限の生活が憲法によって保障されている。

これって、すごすぎる時代だと思うんですよね。

だから、人間は、本当は生活は保障されているんだから、

あまり飢えのことは考えずに、自分のやりたい別のことに集中できるはずなんです。

 

本来は生きるとか子孫を繁栄させるみたいな目的をもって生きていたと思うのですが、

その目的が保障されてしまっている様な状況だと思います。

なので、今の人達の多くは、人生の大半の時間を掛けて人生の目的を探している気がします。

 

「飢え死にすることはないという事実」を「安心」につなげてみれば、より広く人生を捉える事ができなかろうか。

 

 映画の主人公みたいな人生を送る。

人生を映画だとすると、

あなたは映画の主人公で、どんな映画にしたいのか?

それが、どんな人生を送りたいか?の答えになる。

映画の長さはさほど関係ない。

主人公は映画の中で何役でどんなことをして、どんな結末を迎えるか?

 

音楽のライブみたいな人生を送る。

人生がライブだとすると、

ライブ中って手を抜かないですよね?

常に本気でベストなパフォーマンスをしますよね?

で途中途中で少し休憩はとるけど、また戻って、最後まで本気でやり抜きますよね。

生まれた瞬間がライブ開始だとすると、

人生も最初から手を抜かずに本気でベストなパフォーマンスを最後までやり抜きますよね。休憩も途中途中で必要だけど、やっぱりライブ中は常に本気でしょう。

人生も常に本気で生きることができればどれだけ素晴らしいショーになるんですかね。

 

本番の中で準備している

人生が本番だとすると、

何かの準備をしていると、

それは本番中に準備をしている事になる。

ということは、準備も本番の一環ということ。

準備すること自体も本番。

練習も本番と部活時代に良く言われた。

準備は本番に向けたものではなく、

準備もすでに本番だということ。

準備から緊張してしまうのではなく、

準備すらも本番と思えば、本番も緊張しなくなる。

 

僕は、最後にアンコールが湧き上がる様な人生を送りたい。

 

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今日が残りの人生で一番若い日

みなさんこんにちわ^^

 

今日も元気、50です。

 

今回は、

今何をするか?

というテーマで話していきたいと思います。

 

まず提言したいのが、

良くきく、あの頃だったらな!とか、

○○はまだ若いから何でもできるね!とか、

私もその年齢だったら、、、とか、

20歳だったら、、とか、

30歳だったら、、とか、

40歳だったら、、とか、

50歳だったら、、とか、

 

〇〇歳だったら、〇〇できたという台詞、

どんな年齢に対しても出てくるって事、気付いていますか??

 

人間は年齢をいい訳にして挑戦しなくていい自分で居ようとする生き物です。

 

どんな人間でもそうでしょう!

「若ければなんでもできた」なんて、誰しもが考える事です!

 

その傾向に気付ければ、

表題の、「今日が残りの人生で一番若い日」という意味が分かるでしょう。

では、どうすればいいのか?

 

It's NEVER TOO LATE.

いつになっても、遅すぎるなんて事はないんです。

 

遅すぎるっていう言葉が思い浮かんだら、

今すぐそれを始めましょう。

今 今 今

今からでも絶対に遅くありません。

僕が約束します。

 

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図に乗り過ぎたんじゃないか(映画:パラサイト)

みなさんこんにちわ^^

 

映画「パラサイト」を観ました。

 

※ネタバレ感想書いていきます

 

 【目次】

 

図に乗り過ぎたんじゃないか?

 

僕が甘いのでしょうか。

もう一か月でも家庭教師やら運転手やらで4人で働いて入れば、

もともとのピザの箱を折る仕事とかと比べたら、

天と地の差ほどのお金もらえているんだろうに。

それでなぜ満足しないのか?

俺が彼らなら、もう家庭教師で、1っカ月でも働けば、

1年分くらいの給料もらえているんだろうから、

それで、なんか美味しい物食べて、

終了って感じだったかもしれない。

 

計画計画言っているのはいいけど、

目標を立てるべきだと思った。

だって今の生活でも生きてけているし、いいわけじゃん。

これ以上、人生において何をしたいのか?

どんな人生を歩みたいのか?

そんな目標みたいのがないと、

なんか、ぬらりくらりな人生になると思った。

 

 

たった一つの失敗、

 

あの大雨の日に、

家族であそこで飲み会さえ開かなければ、

全ては上手くいっていただろうに。

あの飲み会さえ開かなければ。

あーあ。

もう、雨なんだから、キャンプから家族が帰ってくるかもしれないことくらい

想像できなかったのかな。。。。

マジでバレそうで、ハラハラしてみてしまった。

本人達はもっとハラハラしていたんだろうな。

 

凝りまくって凝縮されまくっていた

映画の構成や、カメラワークなど、

全て2重に考えられている様な凝りを感じた。

洗練されてもいたし、意味深な雰囲気もあったし、

また、気軽にもう一度見たら、色々な新しい発見が

あるんだろうなって思った。

特に印象的だったのは、

あの大雨の日、大豪邸で高いお酒をたらふく飲んでいた最高の状態から、

自宅が浸水しまくっているとう最低の状況への移行。

ぶっているだけで、自分達は未だに底辺の人間なんだと、

本人達が実感してしまうような現実。

そして、地下に住んでいた人達、その人達を

「ずるい」という目で見てしまうが、

実は自分たちの方が更に下の方に住んでいるという描写にも見えた。

自宅に帰る時の方が、地下に行く時よりも長い階段を下りていたし。

 

伏線もいっぱいあるみたい

 

観終わった後に、他のネタバレや伏線開設のサイトを見てみたところ、

確かに色々と新しい発見や、ああ言われてみればそうだったなと、

余韻に浸りながら第二波を楽しむことが出来た。

 

また観てみたいと思える作品でした~。

 

 

パラサイト 半地下の家族(字幕版)

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最後までお読み頂きありがとうございます☆